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コロナ禍を経て、自分は何のためにライブで声を出すのか

どうも、ご無沙汰してます、ざぎです。

 

ミリオン9thめっちゃよかったね~って記事を備忘録として惰性で書いていたけど、これに関しては自分としても答えを出したい、文章にしたいと明確に思ったことがあったのでこっちに触れたい。

 

※注意 この先自己満足であふれた記事になります。耐性のない方はブラウザバック推奨です。

 

1/30に我らがブシロードから、とある通知が出てきた。

 

 

新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」が一部変更されたことをうけて、出された通知だ。(詳細は下記リンクを参照)

基本的対処方針に基づく対応 関連した事務連絡等|内閣官房新型コロナウイルス等感染症対策推進室

 

ブシロのツイートにもあるようにマスクありで声出しが解禁されたのだ。

そしてこの週末にはバンドリ11thが開催され、自分はDAY1、Poppin'Party×RAISE A SUILEN「GALAXY to GALAXY」にプレシで参加が決まっている。

 

そんな中で自分が思う事をすべて吐き出し、その上でどうやって11thで声出しを迎えるのかという事を話して、この11thを最高のものにしたい。

 

 

正直こんな風に声出し解禁を迎えると思わなかった

人類はコロナをもっと安全な形に封じ込められると思ったし、もっと合理的に根拠に基づいて世界は動いてゆくと思っていた。

最初にことわっておくが、コロナとかワクチンの解釈はもはや、個人の思想の自由にゆだねるようなものになってしまっているので、これは自分の主観的な考えであり、聞き流してもらって構わない。

 

コロナとは共存という道しかないのは1年以上前から度々言われてきたが、それにしたってこんな幕引きはないと思っている。

2022年の暮れに、根拠のないお気持ちによる屋外マスク原則不要のルールが政府より出され、そこから早急に感染対策の緩和が推し進められてきた。

 

緩和はいずれ必要ではあるが、11歳以下のワクチン接種状状況が良くない状況(1/30現在で3回目打ててる11歳~5歳は7.9%しかいないうえ、生後6か月~4歳のワクチン接種は1回目が2022年10月に始まったばかり)で、完全にリスクを排除しきれないライブの規制緩和は、ウイルスを防ぐ術の乏しい子供に対して酷だと思っている。

ライブだったり屋外でコロナウイルスを大人が家庭に持ち帰ってくるというのは今の状況では当たり前にあることで、それで割を食うのは罪のない子供だ。

深刻な後遺症を残す可能性があるコロナで、ワクチンが行き届く前にそのリスクを無視して規制緩和を進めるのはあまりにかわいそうだと思う。

 

そんな感じで規制緩和は早くても2023年11月以降と思っていたもんだから、こんな微妙な状況でいきなり声出し解禁でぽかんとしていた。

もっとちゃんと憂いもなく100%笑って声出し解禁を迎えられただろうと思っていたんだ。なんだか悔しいなぁ。というのが、まず一つ正直な気持ち。

 

声出し解禁は最高の体験にしたい

と、理性ある大人らしいことを思っていても、このライブバカの根っこは救いようのない馬鹿である。

『ライブは死ぬほど楽しむ。後悔はしたくない。』

『自分はライブ会場にいる誰よりもライブを楽しんだ存在でありたい。』

これが、バンドリライブで一番思っていることだ。

そして声出し解禁というタイミングかつ、ポピパとRASという長く待ち望んだ組み合わせのライブならなおさらだ。

では、その最高の体験の為に何が必要なのだろうか。

 

声を出す理由

これが一番大事だと思う。

コロナ禍前まで声出しライブを楽しんでいたが、それまでは声出しが当たり前の文化でそこに大して理由も求めていなかった。

そのあとのコロナ禍であたりまえだった声出しを我慢し、今では特に意識せずとも声を出さなくても大丈夫になった。

そうして迎えた今、自分は声を意識して出さなくてはいけない状況にある。

そうであるなら、声出しをする理由を見出したい。

「コロナ禍前は出していたし盛り上がるし、なによりテンション上がるから、それで出す理由は十分じゃね?」と思う自分もいるが、コロナ禍中に気付いた「自分はライブでこうしたいんだ」という気付きを基に新たな理由を見出したいのだ。

そうしたほうが、コロナ禍前と比べてさらにライブを楽しめて、声出し解禁の体験が3段階くらい上のものになるだろうから。

 

 

カッコよくコールできると満足感を得れるから。

これは自己満乙案件なのだ。でも自分としては大事な理由。

これは純粋に声出すとテンション上がるよねって話に近しいものがある。声を出したときに上がるものの中に、自分の満足感がある

 

少し話は変わるがコロナ禍にも慣れた頃の話。

自分はライブで声が出せない中、コールの箇所はコールをしてた時と同じくらい、否、それ以上にミスらず迷わず大きく動くという事に無意識に強くこだわっていた。

なんでだろうと深堀っていったところ、名も知らないとあるバンドリ―マーに強い憧れを持っていたことが始まりだと気付いた。

それは7thのポピパだったと思うが右前の席にいたバンドリーマーで、コール完璧かつ動きも迷いがなく大きくて、すげーカッコいいって思った。

6thが初ライブだった練度の低い自分は困ったときはこの人の真似すればいいんだなと思って頼りにしていた。

それに加えて、そのバンドリーマーは体からオーラが見えるんじゃないかってくらいすごい楽しいんだと伝わってきて、憧れを抱いた記憶がある。

それから、カッコよく動いてコールできればライブが楽しくなるという価値観が自分の中に生まれたのだと思う。

 

自分の中でその価値観がでかいというのはあるけれど、別にそのエピソードがなくても、カッコよければライブは楽しく感じるはずだ。

 

純粋にカッコよくビシッとコールと動きを決めると滅茶苦茶気持ちがいい。他の観客との一体感もあって、満足感に包まれる。自己肯定感も上がる。

しかもカッコよく動けてると周りからの目が変わると思う。7thの時の自分みたいに後ろの席の人が憧れてくれるかもしれない。実際はそんなことはないかもしれないけど、気持ち的には勝手に承認欲求が満たされる気がする。なんかお得。

それと「コール忘れてた」とか「コールのタイミングミスった」なんてことはしばしばあるが、楽しいことをしてる最中にコールを失敗した後悔は時間の無駄だ。

純粋に楽しい時間が減って嫌な時間が増えるのはよくない。でも全部カッコよく決めれば、プラスの事しかなくなる。最高の時間しかないライブが作られるのだ。

 

だから俺はコールをする。

カッコよさにもこだわりながらね。

 

自分がライブを作る舞台装置の一つでありたいから

これが自分がこの記事で一番書きたかった、声を出す最大の理由。

舞台装置という考えはアイマスのミリオンライブのライブに行くようになって言語化できた概念だ。

ミリオンはライブを観客と作り出すという意識がすごいあるコンテンツだと感じている。

例えば、ライブの後にYoutubeで感想会が開催されるのだが、司会の人がブレードの色がどう見えたとか、こんな色にしたという話が多く上げたりするし、最近では珍しくUOが使用されていても悪目立ちせず演出としてちゃんと働いていたりする。

他にもあるが、ミリオンは公式が観客をライブを盛り上げる要因として考えていたり、観客自身がライブを盛り上げる要因だという自覚があるようなコンテンツなのだ。

更にミリオンでは、「自分はこう考えて何色にした」「こう見えるように色変えした」というような話が上がることも多く、単なる装置ではなく思考をしたうえで個々がステージを作り上げているコンテンツだとも感じている。

舞台装置は単にそこに置いとくだけでは意味がなく、誰かがが動かして初めて舞台を彩る装置としての役目を果たす。そういう点でも舞台装置という言葉がぴったりで、自分はこの舞台装置の在り方がファンの形として理想だと思ったから、舞台装置になりたいのだ。

 

じゃあ舞台装置になって何がしたいのと言われたら、自分は演者の気持ちを代弁するような表現ができる舞台装置になりたい。

演者自身ではないので正確に何を表現したいかという事は勿論わからないが、曲とストーリーと選曲された意図まで考慮して、伝えたい、表現したい事をコールをしたい。

自分で解釈を持ったうえで演者にコールが届けば、伝わることもあるかもしれないし、その時に考えていたことというのは、あとでBlu-rayを見返しても覚えているものだ。

考えた上で意思を持った舞台装置になりたいから、コールをする。

結局は自分がライブ参加者で1番楽しんだと思いたい。

以上二つの理由は挙げたうえで、最終的には脳みそも体も使って、ライブを一番楽しんだ存在でありたいから、コールをするのだ。

大事なのは自己満足でいいってこと。もちろんルールや他の観客への配慮も忘れない中で、「今日は自分が最高に楽しんだ!」と胸を張れるようにすること。

 

書き始めてもう一週間くらいかかって、もう11th開演まで数時間だけど、なんとか書き終わってよかった……文章がたがたで話飛んだりしてるだろうし、人に読ませるものではないけどとにかく、11th前にあげたかったので。

それじゃあ、最高の声出しライブが待ってるので、行ってきます!!

 

また、11th感想記事で!(本当か?)